なんとか町の裏路地、カンカラカンカラと風に吹かれた空き缶が道を転がってゆく。フェンスに括り付けられたプロボクシング試合のポスターは内巻きに捲れ上がって、色褪せてしまっている……しかし日付は近日、これでも試合ごとに貼り直されているポスターなのだ。新聞配達のおばさんが自転車のベルをチリリン、黒猫はぴゃッぴゃとその場を退いた。なんとか町は閑散とした薄暗い町だった。
 この社は足の神様を祀っている。たくさん吊り下げられた参拝者の草履の群れ、その群れから少女がひとり顔を出した。遅い、まだ来ない、そう言って振り返る少女の視線の先にも少女が居た。その子は社の陰に腰を下ろして、ワンピースが汚れるのも構わずに絵を描いている。絵を描いている少女は紙袋を被っており、歪に空いた穴からギョロリと視界を作っていた。紙袋は画板と紙を膝に置いて、手にはクレヨンを持っていた。
「うふ、昨日のお客さん、たくさんくれちゃって、マア」
 そんな独り言を漏らしながら──紙袋は絵を描く。その絵は園児と変わらぬ。
「遅い、遅い、まだ来ない、あのノロマ」
「あは、あんたの王子さん、まだ?」
「王子さん? 白馬じゃなくて、三角木馬に乗った王子様……?」
「うふ、あは、あははは、あは、可哀想、あはははは」
 紙袋は絵を描くのをやめて、喜んで笑った。待ち人来ずの少女、指輪飴を舐めつつ、大木を蹴る。遠くに少年見えたり。彼は何か背負っている。
「あんた、遅いのよ、いつまで待たせる気よ、このノロマ」
「ごめん、母さんから便りが……」
「嘘ばっかり! あんたの母さん死んでるじゃないの!」
「そんな……そんなはずないよ、変なことを言うんだなぁ……」
 待ち人来たる少女、クレヨンを紙袋から奪って、少年の口を抉じ開けた。クレヨンはオレンジ。
「ほら食え、罰だ、食え、食いなさい」
「ひゃめ……」
「あはは、あたしのオレンジ、ちょっと、取らないでよお、あははは」
 紙袋はまたもや喜んで笑う。彼女はクレヨンを次々に渡してしまうのだった。
「次は、青、緑、ええと、赤、茶色。黒はちびちゃってるわ」
「ペッペッ、やめ、やめてったら」
 少女は遂に許したと見えて、くるりと背を向けて社へ向き直った。草履に囲まれし社。朽ちた草履、新しい草履、でかい草履、チイサイ草履……。
「標榜語!」
「あはは、ええと、我々は、なんだっけ、あははは、うふ、はあ、……」
「我々は、社に誓って三位一体、ひとつの宇宙であります……」
 言葉を切った紙袋の代わりに……少年が淀みなく言葉を継いだ。その声はか細く、聞き取りづらかった。空すでに夕焼け、カラスが鳴く町。カアカア。カアカア。夕焼けによく似合う。
 少年、よく見れば柱時計を背負うている。随分傷のついた古そうな時計である。母の形見だが、母が死んだとは思わぬ男だ。
「あらア、あたし時間を間違えてたわあ。お客さん来ちゃうわ」
「エ、もう解散? 僕来たばかりで……」
「あんたはドロテーちゃんのオモリ、ドロテーちゃんにオモラレよ、ホラ行ってらッしゃい」
 紙袋、軽やかに走って行ってしまう。残された少女、声高に。


汚しちまつたかなしみに
汚しちまつたかなしみに
この子の七つのお祝いに
汚しちまつたかなしみに

人間は神様のスメグマ
女は一輪挿しの花瓶
帰るまでが遠足
死ぬるまでが人生

汚しちまつたかなしみに
汚しちまつたかなしみに
後ろの正面 映画館
汚しちまつたかなしみに


 夕焼けの道を、ぷうぷうラッパ吹きながら小僧が練り歩いている。少女はそれにちょッかいかけようと旗担いで追うのを、柱時計がまた追って行った。





 或る朝豆腐屋がぷうぷう笛を吹きながら、その背に重る桶をも厭わずさッさと気持ち良く歩く。その風体は白の軍服、身の丈はスラッとした好青年である。その様子、繁みから、二人の少女見ている。夕焼けにカラスが鳴いた。
「ア、お姫さま病のトラちゃんだ。お豆腐、売れてる?」
「此処からじゃ見えないわ」
「あはは、もうお夕飯になるからなくなってるかもしれないわね、うふふ」
 旗を担ぐ少女、振り返って、少し離れた処で佇む柱時計に声掛ける。
「あんたチョット、お豆腐、買ってきて」
「ボ、……僕が?」
「ホラはやく!」
「わ、ワ、判ったよ、……」
 柱時計を背によたよたと小さな坂を登る彼。それを見付けた豆腐屋、桶に気を付けて、彼を正面に捉える。
「お前、それ、危ないよ。降ろしたら」
「危なくなんかないよ。トラ君、お豆腐ある?」
 豆腐屋は怪訝そうに眉根を寄せ。
「あるけど、篠辺、そんなんじゃ、持てないぜ」
 そう囃す。すると、そこへ紙袋が現れて、豆腐屋から軍帽をパッと取り上げて、走って行ってしまった。旗を担ぐ少女、それと一緒に逃げる。
「アッ、コラ、ボクの帽子!」
「珍しいなア、ドロテーちゃんは、女の子には意地悪しないからッて、トラ君にはアンマリ意地悪しないンだ」
「誰が女の子だッて?」
 豆腐屋、おかんむりである。桶を担ぎ直しつつ、
「ボクはこないだのことから、チョット頭がヘンなんぢゃないかと思ッてるンだ」
「きみが、豆腐屋の奥さんの口紅で化粧してたッて話? トラ君がヘンなのは、みんな知ってるんだ。知らないのはきみだけさ」
 ますます面白くない顔をする豆腐屋、二人が消えた方を見て。
「あたくしはフランスでは名の知れた貴族の娘なのヨ。こんなチッポケな島国にいるから、ヘンな女になるのヨ、あいつら」
「ウン、ヤッパリ、ヘンだ」
「貴方もそう思って?」
「否、僕が言ってるのは、きみのことさ、お嬢さん」
 この豆腐屋、フランス貴族の姫と頭を同居さしてることは一切知らぬ。それで、周りは、お姫さま病と言うのであった。
 暫くして、旗を担ぐ少女、飽きたと見える。豆腐屋の処へ戻り、帽子も返し、機嫌良さそうに。


愛しい貴方に紫リボン
女は昔 太陽だッた
私もあの娘もタタリ神
天岩戸でカクレンボ
死んで還ってまた来週
トンで転んでまた来世
さざんか さざんか 咲いた道
恋愛原理に核廃絶
愛しいあの娘の紫リボン
私は昔 太陽だッた


 朝が来ると、豆腐屋の坊ちゃんがぷうぷう吹く。夕刻が来ると、豆腐屋のお姫さまがぷうぷう吹く。お姫さまはホントの豆腐屋の子ではないので、坊ちゃんのことは坊ちゃんと呼ぶのだそうだ。





 その男、縄で括られ、尻を出して少女の前で屈んでいる。場所は犬伏屋敷、町の政治家・犬伏の屋敷である。態とからに真ッ暗な部屋は行燈の光のみが辺りを照らしている。
 少女はその手を振り上げ。
「あんた、又、あたしの犬に餌をやり忘れたわネ」
「あいつは、おれのやる飯は食わんのです。堪忍してお嬢」
「お黙り」
 ピシャリとその尻を掌でやっつける娘。話題の犬は縁側の向こうで、小型犬らしくキャンキャンと吠えたてている。さっきまで寝ていたのだが、話し声で起きたらしいのだ。
「見て御覧、あんたなんかよりイチの方がヨッポドお利口でしょう」
「あれは吠えているだけです」
 少女、眉間に皺を寄せ、男は気付き黙って俯いた。一郎は暫くして構ってもらえぬと判れば、次第に大人しくなって寝付く。何度か尻を叩かれた男は漸く解放されて、縄で後ろ手に縛り付けられたまま、引っ張り起こされた。少女、引き摺るので、男はまた床へ転がってしまうが、それも気にせず男を引き摺ったまま廊下へ。
「アラ、お菊、だめよ。お散歩はだめ」
「お絹、未だ寝ていなかったの」
 茶を飲んでいた別の少女、男を引き摺るお菊を窘める。
「もうこんなに遅いのよ。野犬が出るわよ。次郎さんじゃ相手にならないわよ」
 お絹は心配そうに眉を下げた。お菊は聴く耳持たず。フイと顔を背ければずるずる荷を引き摺ったまま外へ出てってしまった。お菊は次郎を引き回して、夜の散歩へ繰り出すのが日課なのである。

 
 翌朝次郎はタバコをふかしながら、デイゴのもとを訪ねた。デイゴというのは、町の祈祷師である。デイゴはお豆腐を買いに豆腐屋の前へ来ていた。
「なア、お前、今度どっか連れてってやるよ」
「要らなァい」
「ドウして」
 祈祷師は次郎の表情を見ると嬉しそうにきゃらきゃら笑って、ご機嫌に豆腐を引っ提げ、次郎へ背を向けて歩き始めた。
「なア、ホラ、お前金平糖好きだろ。ホラ、要らねえのか、ホラ」
 次郎はバラバラと地面に金平糖を撒いた。
「ア、ア、バカ、次郎さん、そんなことしたらアリが来る、辞めてくれ」
 豆腐屋のトラは血相かえて店から飛び出て来る。一方の次郎はつまらなそうに口をへの字に曲げ、足元に散らばる金平糖をツッカケで蹴り飛ばし、デイゴとは別の方向へ大股に帰って行った。
 屋敷に戻る次郎はまた、面白く無さそうに口をへの字に曲げている。
「あんなにやった金平糖、ドウしてきたの」
「外でばら撒いちまいまして、済みません、お嬢」
「あんたはドウしてそんなにそそっかしいの。ほんとにバカなんだから、もう」
「それよりお嬢、おれ遊園地に行きたい」
「遊園地? あたし汽車乗るのいやだわ。寒気がする」
「ウーン、お嬢は汽車が苦手だった、そうだ、忘れてた。お絹さんはおれと遊園地行ってくれませんかネ」
「お絹があんたとなんか出掛けるわけないでしょ。身の程を知りなさい、このルンペン野郎」
 お菊が吐いた唾が次郎の頬を垂れる。次郎はそれを拭うと叩かれることを知っているので、益々眉を下げて。
「そのルンペンを好き好んで飼ってるのは、ドコのドナタか、」
「アラ、口ごたえするの?」
「イエ、アノ、その、口が過ぎました。お……おれ、この家、好きです、迚も」
「ホホホ、そうでしょう。あんた目を離すと何しでかすか判んないから、やっぱり繋いでおくに越したことないワ」
 かくして再び縄掛けられる次郎。困ったことに、お菊に引き摺られるのが嫌いなわけではないので、毎晩毎晩引き摺られているのであった。紙袋は仕事帰りにその姿をよく見るので、たまにからかって石を投げることがあるが、次郎はそれも嫌いではなかった。お菊の裸も嫌いではなかった。





 次郎が道端で、シャボン玉をぷうぷう吹いている処へ、柱時計がヨロヨロと近付いた。
「次郎さん、トラ君見なかった?」
「白いのは知らない。小僧に貰った」
「今日も酷い顔してますね」
 半ば不貞腐れたような次郎、お菊に虐められて赤黒く腫れた左目の目元は、遠目に見ても痛そうだ。口の端も切れているが、液が染みるのも構わない様子。
「あいつア、あれで、可愛い処もあるんだぜ」
「フーン。まア、死んじゃわない程度にね」
「あれの親が言うには、くそイチの前の犬は、殺しちまったらしい。犬ッつっても、犬の犬だぞ。人間じゃない」
「次郎さんは犬の一種なのかい」
 そんなことを話しては、柱時計は、豆腐屋を探しにヨロヨロとまた歩き出す。
 駄菓子屋の前で、お絹を見付けた。絹は学校帰りのようである。
「絹さん、」
「キャッ」
 駄菓子屋を覗き込むようにして佇んでいたお絹は彼に気付かず、驚いて肩を跳ねさせた。
 柱時計は少し決まり悪そうに。
「ああ、御免なさい、驚かせるつもりは……」
「しッ。静かにして下さいまし」
 眉間に皺寄せたお絹、人差し指を立てれば己の唇にあてて、再び駄菓子屋を覗き込む。柱時計もそうする。と、子どもに混じって背の高いのがひとり、何やら子どもの輪の中心にいるのだった。
 探しびとその人だったが、柱時計は怪訝そうに絹へと視線を返した。
「絹さんは、ドウして、こんな処で店を覗き込んでいるのですか」
「まあ、ドウして、ですって? 貴方にはキット、何言ったって判らないわ。ですから気になさらないで」
「随分な言い方だなア」
「アラ、失礼……そうぢゃなくて……兎に角、私には構わないで頂戴」
 お絹はスカートを翻し、名残惜しそうにその場を離れて行った。そこへトラが。
「やあ、篠辺、そんな処で突っ立って、何をしてるんだ」
「きみを探していたのさ、集会をやるんだって」
 それだけを伝えると、トラは二つ返事で店を出、柱時計と並んで、鵺鳥神社へ向かうのだった。

 鵺鳥神社は町の鬼門に位置する足の神をまつる処である。ご利益があれば草履を結ぶ。故に此処は草履でイッパイなのであった。
 神社へ着くと、社がパカンと開いて。
「ばあ!」
 中からデイゴが出て来たのだが、両者動じず。木陰で涼んでいたらしい紙袋娘がキャッキャと笑って手を叩くだけであった。
 デイゴは少し不貞腐れた様子。
「全然驚かないんだもんなア」
「アハハ、デイゴさま、怖くないもの、アハハハ」
 そこへ、自転車に旗を差したマスクの少女現る。
 上の道へ自転車をとめて。
「貼ってきたわ」
 少女の手に一枚残るは、町の新聞「なんとか博」、少女が執筆しあらゆる掲示板に貼られる新聞である。
 つまらなそうに座っているお菊、今日はひとりだ。
「今日も絹はいないのね」
 少女は旗を担いで言う。お菊は立ち上がって。
「当たり前じゃない、お絹はもう家に帰らないと、叩かれる時間よ」
「あんたは?」
「見ての通りじゃないの、あたしは何にも縛られないわ」
 そんなわけで、此処には六人が集った。

 デイゴを中心に並ぶ一行、一枚残ったなんとか博をひろげている。
「これこの通り、ドウやらこの町には、大紅姑娘の呪具が眠っているらしいんだ」
「オカルトか、ボクは嫌だな」
 なんとか博を覗いたトラは、渋い表情で視線を逸らし、軽く背伸びを。旗の少女、そちらへ向いて。
「意外、何が怖いのかしら」
「信川は、何も怖くなさそうだな」
「そうかもね」
 一方の柱時計は。
「僕は別に怖かないけど、なんだい、その、呪具をドウするんだい」
 旗の少女とデイゴはどちらからともなく顔を見合わせ、それからデイゴの方が口を開く。
「ドウするって、探すのさ」
「探すだけ?」
「だけってことはないでしょ、我々は好奇心の為にしか生きてないんだ」
 かくして大紅姑娘の噂は町の子どもにひろがった。幼い子どもから、成人手前の少年、果ては少年の心のままである成人にもひろがった。
 町では今、誰がその呪具を探し出すかの話題で、もちきりなのだ。





 エエト、──……大紅姑娘は蒙古との戦いで、大陸から落ちに落ち延びた民族の姫君でありました。島国日本へ流れ着いた彼女は、大陸のまじないや呪いをよく知り、民に助言し儀礼を行う巫女になりました。彼女の娘、ことに長女は代々デイゴとして地域の要人であり続けましたが、室町時代には既に男のデイゴが存在しております。
 しかし大陸に戻れぬ大紅姑娘は、仇の蒙古へ呪いをかけるため、生涯呪具への御祈祷を行っていたようであります。この度、そのような資料が発見されたため、筆者はこうして、町の子どもらに、ひとつ命令を下すのであります。
 この頃町に起こる怪奇現象、それを見るにつけても、例の呪具は我々のすぐ近きに在り、必ず見附け出し解決するに限る。『真っ赤な冬が来たりて福』と現デイゴさまもおっしゃいますれば、諸君らに捜索を願う次第であります。

「だってサ」
 デイゴは自宅の壁に寄り掛かりつつ「なんとか博」の記事を讀み上げる。
「………」
「興味ないッて顔だネ」
 玄関先でふてたように座っている次郎、指摘される通りの顔である。ヤット讀み終わったか、とばかりに、次郎はそそとデイゴの傍へ寄った。
「千藤」
「まったく、お前はいつになったら憶えるんだい。そりゃ昔の名前だよ。ほら言ってみて、デイゴ」
「千藤」
「馬鹿な奴だね!」
 デイゴは態とらしく悪態をつき。
「ウチに通うくらいならスイミングスクールにでも通ってな、カナヅチ男」
 しッし、と追い払おうとする。次郎の方では追い払われる気などなく、益々擦り寄るばかりだ。
 仕方が無いので、デイゴはその頭を抱き寄せて、あやす。
「お前、いい匂いがするね、ちゃんと世話して貰ってんだね」
「………」
「なんとか言いなさいッて」
「ウン……」
 次郎は言葉少なに肯定をひとつ。その唇にデイゴの白く形の良い指が這った。
「ネ、次郎、キスしよっか。嬉しい?」
 宵闇が近付いて、もう帰らねばならぬ時間だが、次郎はそれも構わずその首を抱き寄せる。
 面倒くさいので、デイゴはアンマリ次郎をあやさないのだけれども、稀に気が向くと遊んでやるのである。それから暫くして、犬伏屋敷。

「ねエ、あんた、あたしのこと好き?」
 門限破りをした次郎に、菊はツンとしながら尋ねた。
「ハイ、お嬢」
「どれくらい」
「餅の次かナ……」
「あんた、餅好きなのね」
「ハイ。屋敷の、お正月のが、特に」
 お菊は花を生けていた、しかし花切鋏はその首をチョンと落としてしまった。机にコロコロ転がる花。
 視線を次郎にやると、お菊はその咥内へ自身の親指を突っ込んで、歯列をなぞる。半開いた次郎の口唇から唾液が垂れ、その指を濡らした。
「ねエ、またデイゴさまの処へ行ったでしょう」
「は、……ふ……」
「痛いわ、歯を立てないで。あんたは利口なんだから、ネ」
「ア……は……」
 数度頷く次郎。
 こうやって、次郎が意にそぐわないことをすると、お菊は敢えて酷くはしなかった。意味のない支配こそが美学なのであって、気まぐれに躾するのが大前提なのである。
 次郎の方では、それでも悪いことをしたという気持ちがあって、お菊のこうした隔たりに不安を感じたりもするのであった。

「お絹さん、お嬢は怒ッてるんですか」
「さア、ドウでしょう。私もお菊のことはよく判らないのです」
 夜、放り出されたままの次郎は、ひとり、お絹の部屋に押し掛けていた。
「貴方は自由でいいですわね。それほど好かれているのね」
 お絹は机で勉強をしながら、次郎を構っていた。
「ハア、おれは自由ですか」
「そうですね……私だって、外で遊んで来たいときもあるわ」
「お絹さん……おれと散歩する?」
「結構ですわ、私、夜外に出るなんで怖いもの。夜が怖いんじゃなくて、お父さまがね」
 次郎はお絹の手を取って外へ連れ出そうとするので、聞き付けたお菊が説教をして、次郎はまたお菊の部屋におさめられたのだった。